アラフォー、2児のママの日々消耗している日記。

40目前にして大人の作法というものにようやく気がつきました。これからいかにして獲得していくか?という記録。

「大人の作法」とは何か?

38才くらいだと、女性はまだ30代前半くらいの気分を引きずっていたりしますね。

特にまだ子どもが小さくて、日々格闘中だと、年月が過ぎ去る早さに自分の精神がなかなか追い付いていかないものです。

 

私はもうすぐ40才を迎えるんだとどこか信じられないような思いでも、体は正直。

段々子どもの体力についていけなくなり、週末はいつまでもぐったりとベッドで寝転んでいたりします。

 

今思えば、20代って何て若かったんだろうと、職場の若い女子を見るたび、過ぎ去った何かを懐かしい思いを見るような気持ちがします。

 

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さて、本題に入りますが、あなたはまだ若い頃のフワフワした夢見気分を引きずっていませんか?

心の中で、中学の頃の同級生と自分を未だに比べていたりしませんか?

 

それをしていたら、要注意アラート。

 

思えば、若い頃の幸せ感とは、「私は何にでもなれるかもしれない」という万能感だったかもしれない。
私の中で一番それが強かったのは、小学生高学年くらいで、たぶんそれは中学生時代頃までずっと続いていました。

けっこう本気で「自分は可愛いかも」って信じていたし、小学生を卒業するとき互いに交換し合った「プロフィール帳」(←懐かし〜笑)にも、「将来:バリバリかっこよく働く女の人」とか「ほしいもの:お金と愛!」なーんて、今思えば、自信たっぷりに恥ずかしいことを書いていたものです...。

 

それが、社会人になって社会の厳しさや自身のレベルを知り、結婚して子どもを持ったりする頃、少しずつ「現実」に向き合い、少しずつ何かを妥協し、諦め。絶望やみじめさの味を知り。

だんだんと大人になっていくのです。

 

たまに、本人の芯が強いのか、恵まれてきたのか、そういう現実をうまく乗りこなし越えてきた人特有の、多幸感あふれた無邪気な子ども心を維持したままの稀有な人もいます。そういう人は、びっくりするほど精神がタフで強いですね。

そしてもれなく「自分のものさし」を持っている。

 

でも、大人になったにもかかわらず、いつまでも「世間のものさし」で自分を測り続けていたり、いざ自分のものさしを取り出してみれば、それが小さすぎて、自分自身のことを何も測れないままの人もいる。

 

そういう人は、朝のニュースやSNSで一喜一憂したり、「世間の気分」に振り回され、日々疲弊していきます。

他人の何気ない一言に傷つき、人と比べてあまり順調じゃない自分の人生に傷ついた結果、自分で自分をみじめにしそこから抜け出せません。

 

「大人の作法」とは、かつて無邪気だった自分の子ども時代と、現実に打ちのめされて疲れてしまった大人時代の両方をひっくるめて、愛そうという礼儀のこと。

 

大人になったら、そんなにまっすぐに真面目に生きなくてもOK。

肩の力抜いていきましょうよ。