自分のタイプを知ってラクに生きる
「どうもお互い噛み合わない」「なぜこうも話が通じないのか?」
...ハイ、しばしば私がよく夫に感じています。
夫は私と全く違うタイプ。どちらかといえば私は悲観的で、夫は楽観的。割と感情的になりがちな私に対して、夫は淡々としていてあまり感情的になったところを見たことがありません。
当初はそんなところに魅力を感じ結婚したはずですが、その「違い」のためにどうも、うまく通じ合っていないと感じることが最近は増えてきました。
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以前私が受けたセミナーで教えてもらったのですが、コーチングの分野では、人は思考や価値観によって、主に4つのタイプに分けられるそうです。
・促進型:
その場のノリや、楽しい雰囲気を重視する。「楽しい」「わくわくする」などにひかれる。直感型。お祭り男、ムードメーカー。
・支配型:
物事や人をコントロールするのが好きだが、自分が支配されるのは苦手。長い会議や論点の見えない状況にストレスを感じる。お片づけ好きやミニマリストに多い。
・分析型:
物事に意味を持たせたり、分析するのが好き。また、長々と考察した文章を書くのも好きなので、はてなユーザーに多そう。
・支持型:
空気をよく読み、相手に合わせることが多い。平和主義。「みんなで」「仲間と」に価値を感じる。寂しがりや。
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あなたは当てはまるものがありましたか?
どれがいい・悪いではなくて、人は少なからずどれかには当てはまるようです。
また、必ずしも1つの傾向に偏っているというわけではありません。
たとえば私の場合、支配型60%、分析型40%くらいです。
支配型が強いので、思い通りにいかない状況にイライラを感じることが多いです。また、物事の見通しが立たないと、モヤモヤした気持ちを引きずりいつまでも前に進めないところがあります。
ちなみに夫は、客観的に見て分析型かな?と思います。ものすごく慎重なので。そういう面でも、ハッキリさっさと決めたい支配型の私とぶつかりがちなのもよく分かります。私が支配を少しでも手放せれば、ラクなんですけどね。
「自分の話が相手に通じない」「なぜか目標を共有できない」理由には、自分と相手が共感できるポイントが異なっているせいかもしれません。
ま、なかなか全く自分と同じタイプの相手と巡り合うのも難しいでしょう。それに人は少なからず自分と違うタイプにひかれる傾向がありますから。
大事なのは、お互いのズレをいかに処理していくか。
私たち夫婦の場合は、ズレを感じているのはどうも私だけのようなので、私が「支配したい」欲を諦め、違う面に目を向けるしかないのかもしれません。
夫婦というものは、パッと盛り上がった恋愛の頃と違い、いかに相手と居心地よく手を取り合って生きて行くか。そんなところにあるような気がします。
大人の女性は「言わない」を選択しない
夜遅く、夫が仕事から帰宅しました。
何か適当に食べて、起きた妻がふとダイニングテーブルを見れば、食べた後の汚れた皿が置きっぱなし。
あなたは「このお皿、ちゃんと下げて」と言いますか?
それとも、ため息を押し殺し、黙って自ら皿を下げて洗いますか?
または帰宅後、夫が脱いだ靴下をそのへんにポイ。
あなたは「脱いだ靴下はちゃんと洗濯かごに入れてよ」と言いますか?
または、ため息を押し殺し、黙って夫の靴下を拾いますか?
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実はこれら、我が家の風景です。
文章にしたら何だかひどくて、笑いそうになってしまいました。
ちなみに私は、「ちゃんとやって」言えない妻。
だって、そんなこと夫に言ったら逆ギレして「今やろうと思ってたんだよ!」とか言い返されて、嫌な気持ちになりますから。
妻が「やって」と言わないでいたら。自分さえ黙っていれば、穏便に事が運ぶと諦めていたら。
正しい選択は、「夫がやってくれるようになるまで言う」です!
ただし「言う」には「文句」は含まれていません。
「だからあなたは!◯◯だってやってくれなくて...」などと、話を膨らませてはいけません。
ヒステリックになってもいけません。
夫は「靴下は自分で片付ける」「使ったお皿は自らシンクに下げる」という情報ではなくて、「俺が怒られてる!」という情報を率先して受け取ってしまうから。
淡々と「やって」と言い続けましょう。
普段は我慢をして言わないでいて、急に言いだすのもダメですね。
夫は、普段は黙って見逃してくれるはずの妻の、突然の変化が「コワイ」と思ってしまうようです。そして、コワイが一転、「自分は怒られた!プライドを傷つけられた!」と感じてしまう生き物らしい。
また夫側の言い分として、「妻が言わない」ことに慣れきっていると、たまに妻が指摘することで過剰に反応してしまうのだと思われます。
決して「妻が黙って従う」状態に慣れさせてはいけません。
妻が言わないでいい状況に慣れてもいいのは、夫がちゃんと自分自身のことをやってくれた時です。
大人の女性は自分をうまくコントロールする
先日ご紹介したこの本
と一緒におすすめしたいのはこちら。
うまくいっている人の考え方 完全版 花柄ピンク (ディスカヴァー携書)
- 作者: ジェリー・ミンチントン
- 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
- 発売日: 2018/03/31
- メディア: 新書
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かわいい装丁で手元に持ちやすいです。
どんな部分がおすすめかというと、「自分が生きやすくなる方法」が100個も挙げられています。
具体的に言うと、「いやなことを言う人は相手にしない」「他人の思どおりにはならない」「自分のしたいことをする」...など、生きるにあたって割と基本的な項目ばかりが書いてあるので、表面的に読んだだけだと、あまりしっくり来ないかもしれません。
でも、この本のキモは、「手元に置いて、何度も読み返せる」ところにあると思います。
当たり前のことほど、頭ではわかっていても、いかに実際の行動や考え方に落とすことがどんなに難しいか...。
でも、人生って基本的にシンプルで、一見当たり前に思えることをちゃんとやることが、自分の生きやすさだったり、幸福感に繋がったりするのですね。
現代人にとって、シンプルな思考を邪魔するものがいかに多いことでしょう。
狭い範囲での人間関係、他人の愚痴、うるさいCMやテレビ、誹謗中傷ばかりのネット、身近なイライラ、日々の疲れ、将来に対する不安etc...。
これらが、シンプルな思考を日々邪魔しているのです。
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私の信条として、「シンプルこそが最高」というのがあります。
simple is best ですね。
なかなか実践できていないことも多いのですが、突き詰めると、幸福はシンプルにこそ宿ることが多いような気がしています。
今こそ、シンプルにものを考え、シンプルに実践してみませんか?
この本は、そういうあなたの信念をきっと支えてくれるでしょう。
大人の女性は自分をうまくコントロールします。
暴走するということは、それはうまくいく方法ではないということです。
うまくいく方法を学びましょう。
うまくいっている人の考え方 完全版 花柄ピンク (ディスカヴァー携書)
- 作者: ジェリー・ミンチントン
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- 発売日: 2018/03/31
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大人の女性はコスプレで乗り切る
「大人の女性の作法」について、何から書こうか?と思ったときに、割と自分の身近にある話題から書いてみようと思いました。
アラフォー女性となれば、社会の中でいろんな顔や立場がありますね。
子どもから見たママとしての顔。企業の中の会社人としての顔。
夫から見た妻としての顔。同じ保育園や幼稚園のママ友から見た「◯◯ちゃんのママ」としての顔...。
そしてこの中で、一番悩みがちなのが「◯◯ちゃんのママ」としての顔なんじゃないでしょうか。
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これまで他人だった人同士が、同じママという立場になったからと表面上は仲良くなったように振る舞う。
大人になってからの人間関係って、少し難しく、少し面倒臭い。
そもそも元々の価値観や性格の違いは当然あって、大人の場合はそれに加えて、お互いの立場や収入、置かれた環境。キャリアかパートかなども含めた、社会的な立場や仕事の格差。
また、言ってしまえば、子どもが男の子か女の子か。子どもの年齢差や人数の違い。
そんな些細なところにまで、違いが出てきてしまいます。
でも、違っていて当たり前。
「みんな同じ」は、自分たちが小学生や中学生の頃で終わったのだから。
これを読んでくださっている方の中には、「ママ友は面倒だから作らないと決めてるの」と拒む人もいるかもしれません。
しかし大人の作法で言うと、その頑なさ、融通の利かなさは不正解。
正解は「ママ友は作るけど、決してべったりの人間関係にはならない」のが、正しい作法のようです。
ここで「ようです」と言うのは、実は私も子育て歴6年で、ようやくわかってきたところだからです。
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私は保育園ママですが、私の周りでは、皆ほどほどにドライで、お互いの深いところには干渉し合わないようなポジションをうまく取っているようです。
それがよく分からなかった最初の頃は、「私、あの人と合わないかも」とか、「もっとざっくばらんに自分のことを話すべきなのだろうか」などといちいち考えていました。
まれに、お互いの性格や置かれた環境などがよく合い、気が置けない仲になれる関係もあるかもしれません。
でも、ほとんどがそうじゃないのだから、あまり期待しない・考えすぎないようにして、あくまでも「その場だけを楽しむ」くらいがちょうど良いみたいです。
皆、お互いに「ママのコスプレ」で乗り切っているのだから、話題は世間話や、子どもの話ばかりで全然構わないのです。
ママ友には娘時代の友情みたいなものは期待しない。
「同じであること」を押し付けない。
その場かぎりの関係を楽しむこと。これがラクになれる作法です。
「大人の作法」とは何か?
38才くらいだと、女性はまだ30代前半くらいの気分を引きずっていたりしますね。
特にまだ子どもが小さくて、日々格闘中だと、年月が過ぎ去る早さに自分の精神がなかなか追い付いていかないものです。
私はもうすぐ40才を迎えるんだとどこか信じられないような思いでも、体は正直。
段々子どもの体力についていけなくなり、週末はいつまでもぐったりとベッドで寝転んでいたりします。
今思えば、20代って何て若かったんだろうと、職場の若い女子を見るたび、過ぎ去った何かを懐かしい思いを見るような気持ちがします。
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さて、本題に入りますが、あなたはまだ若い頃のフワフワした夢見気分を引きずっていませんか?
心の中で、中学の頃の同級生と自分を未だに比べていたりしませんか?
それをしていたら、要注意アラート。
思えば、若い頃の幸せ感とは、「私は何にでもなれるかもしれない」という万能感だったかもしれない。
私の中で一番それが強かったのは、小学生高学年くらいで、たぶんそれは中学生時代頃までずっと続いていました。
けっこう本気で「自分は可愛いかも」って信じていたし、小学生を卒業するとき互いに交換し合った「プロフィール帳」(←懐かし〜笑)にも、「将来:バリバリかっこよく働く女の人」とか「ほしいもの:お金と愛!」なーんて、今思えば、自信たっぷりに恥ずかしいことを書いていたものです...。
それが、社会人になって社会の厳しさや自身のレベルを知り、結婚して子どもを持ったりする頃、少しずつ「現実」に向き合い、少しずつ何かを妥協し、諦め。絶望やみじめさの味を知り。
だんだんと大人になっていくのです。
たまに、本人の芯が強いのか、恵まれてきたのか、そういう現実をうまく乗りこなし越えてきた人特有の、多幸感あふれた無邪気な子ども心を維持したままの稀有な人もいます。そういう人は、びっくりするほど精神がタフで強いですね。
そしてもれなく「自分のものさし」を持っている。
でも、大人になったにもかかわらず、いつまでも「世間のものさし」で自分を測り続けていたり、いざ自分のものさしを取り出してみれば、それが小さすぎて、自分自身のことを何も測れないままの人もいる。
そういう人は、朝のニュースやSNSで一喜一憂したり、「世間の気分」に振り回され、日々疲弊していきます。
他人の何気ない一言に傷つき、人と比べてあまり順調じゃない自分の人生に傷ついた結果、自分で自分をみじめにしそこから抜け出せません。
「大人の作法」とは、かつて無邪気だった自分の子ども時代と、現実に打ちのめされて疲れてしまった大人時代の両方をひっくるめて、愛そうという礼儀のこと。
大人になったら、そんなにまっすぐに真面目に生きなくてもOK。
肩の力抜いていきましょうよ。
一応、プロフィールのようなもの。
最初に、自分がどんな属性で、どんな人間なのかを書いておきたいと思います。
私は先日言ったように38才。
目下の悩みは、仕事と育児の両立による体力の衰えがきついことと(※今夏きつかった〜)、家庭運営を巡る夫との関係性でしょうか。
子どもは6才と3才。男女です。
いわゆる都心と呼ばれるところに住んでいて、現在は1LDKの賃貸暮らし。
仕事はweb関係。自営業なので給料は多くありませんが、子どもの急なお迎えなど融通は利くので助かっています。
独身時代から夫の会社に入り、結婚して今に至ります。
昔から日記やら手紙やらを書くのが好きで、本もよく読んでいたので、「読むこと」や「書くこと」がほとんど苦になりません。
と言っても小説などのノンフィクションは読まず、大体がライフスタイル本などの実用書が大好物です。
※特にお片づけ本関連はだいたい読んでます!^^
***
私がこのブログを通してどんなことを書いていきたいかと言うと。
巷を見回せば、子育てブログなんて掃いて捨てるほどありますね。
私が書きたいのは、以前のブログでは書けなかった「40代を前にした、女の飾らないホンネ」の部分や「大人になる作法」。
「大人になる作法」については、柴門ふみさんの「オトナのたしなみ」という本を読んでいただくと、よく分かります。
つまり、いつまでも子どもゴコロを引きずっているために、苦しくなっちゃってる女性のための「たしなみ講座」。
私は最近アラフォーになって、ようやくこのことに気づき始めました。
特に、いつまでも馬鹿正直に生きていて、間違ったことが嫌い、もしくは苦手。つまらないことにこだわった結果、変な正義感があって人に突っ込みを入れたり、断罪してしまう。
そんな私みたいなあなたには、ぜひこの作法を身につけていただきたいと思います。
大丈夫。私もこれからですから。
一緒に素敵な40代を迎えましょうね。
ブログをリスタートするきっかけのようなもの。
はじめまして。すなのみちと申します。
私は5年くらい前から、自分のドメインで違うブログを書いていました。
それは最初、5年前に子どもが生まれたのをきっかけに、ワーキングママとして考えたことや感じたことの備忘録として始めたものでした。
しばらくはブログを書くのがとても楽しく、いつしか、淡々と生きる日々の中の自分の道標(みちしるべ)みたいになっていました。
でも、3年前に2人目の子どもが生まれた頃から、少しずつ自分に余裕がなくなってきました。だんだんとブログを書く頻度が減り、1人目の時ほど子育てを新鮮に感じられなくなってきたせいもあり、書きたいネタがなくなり、いつしか「書きたい」よりも「書かねば」になってしまった結果、ブログを書くことを楽しめなくなっていました。
おまけに、そのブログを知っている身内もいたので、なんか、こう....
本音100%で書けないようなこともあって、段々息苦しくなってしまっていったのです。
ブログは本音100%で書くべき、とは思いませんが、「これは書かないでおこう」とか「これは知り合いには読まれたくないかな」といった余計な配慮や雑念が続くと、段々つまらなくなるものですね。
***
そんな感じでしばらく放置状態だったのですが、わたくし38才。
40才を目前にして、今後何していこう...?と思った時に、ふと急に「ブログをまたイチから始めてみよう」。そんなことを、一人遅くなった夏休みを取って、静かに部屋の掃除をしていた時、思いついたのです。
そんな感じでこのブログを始めたいと思います。
ちなみに「はてなブログ」は初めてです。皆さんよろしくお願いします。